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小学5年の時に提出した自由研究を、6年になり担任が替わったのでそのまま再利用して提出した。18年も前からリサイクル意識が高かったのネ♪ |
自分の宿題はもう遠い過去になりましたが、最近は子どもたちの宿題に、頭を悩ませます。
一度はじめたら、深みにはまるのがコンクール出品系。一度先生に選んでもらって、出品されると、先生はまた今年も頑張ってとプレッシャーかけてくるわ、親も親で、ほかの学校から出品してきた子に、今年は勝ちたいとか・・・本人を無視して熾烈な争いが・・・ |
| でも、おかげで去年は、県の科学コンクールで最優秀賞を取りましたよ。 |
| 小学校の四年生の時、遊びほうけて明日登校日だとゆうのに自由研究が何も出来て無くて、大泣きをして、今は亡き父に手伝ってもらい、アサガヲの生育を画でしるした。涙と汗まみれの、8月31日は忘れられない。 |
| 中学のとき、蝶の採集で珍しいのを探しに山に行ったが、中々珍しいのがいなくて、ぶよにはさされるし、一人で心細くなった思い出がある。でも、20種類位集めたように記憶しているが、図鑑で「コミスジ」とか「アオスジアゲハ」などと、品種名が分かると嬉しかった。 |
| 夏休みの宿題と言えば、家族総動員でやっていたような気がします! |
小5年の夏休みの宿題の自由研究を忘れて8月31日の日の夕ご飯時に思い出して家族に言った所,父が急に作れと怒りだした。徹夜で近所の川の上流から海まで石を集められさせてどううにか出来上がった。
眠くてたまらず父の背中で寝させてもらった。 |
「液体の沸点と温度上昇」という自由研究をやっていて、油に引火してボヤを出してしまった。
消防の人と親にこっぴどく叱られ、その後の自由研究の題が「消防の仕事と火災の原因」に替わった。 |
| もっとあそびたかったのが本心 |
| 小学生時代のドリル。初日にその日の日付で全て終わらせたとき、母に「それじゃ(同じ日付では)ダメ!」と言われ、日付だけ書き換えれば良かったものを何を勘違いしたのか、私は1日目以降の答えを全て消した記憶があります。若干6歳だった私にも「私は何て頭が回らないんだろう...。」と落ち込みました。 |
| あまりにも古いことなので記憶にありませんが終戦前後[宿題]どころではありませんでした。 |
| 毎年、どんな宿題でもそれなりにコツコツ片付けていた私。けれど、中学1年生の時の学習帳は、数学のみ一切手をつけずに過ごしました。もちろん提出だってしません。一斉提出日には「やってません、忘れました、だから出しません」とやり過ごしました。開き直るというより、本当に、努力だけはしたけれど終えられなかったから故の不提出。こんなことをしたのは、自分なりに素敵なとっておき体験ですよー♪ |
| いつも宿題をぎりぎりまでかかってやっていたが、いつごろかはっきり覚えていないが、一切やらなくなったが、先生にしかられたことは無かった。 |
| 毎回絵画コンクールと読書感想文に入選(もちろん、学校内!)でした。 |
| まだ一般に冷房が普及していない時代、暑い中汗をかきかき仕上げた |
| 身についていたかは疑問であった。良き思い出であった。 |
| 毎回真っ黒に日焼けして遊びまわっていたこと。 |
| 盆踊りで杏飴の夜店の手伝いをしたこと。 |
| 宿題出るなら休みいらない。 |
| 頑張って作成した自由研究を区の研究会で発表することになった時はうれしかったです。 |
| 私のではなく、長女が小学校の低学年の頃の夏休み明けの参観日に出席した時のことですが、夏休み中の作品がずらっと展示してありました。画用紙の真中に小さくおたまじゃくが一匹だけなんて微笑ましい絵の隣に私の描いた細密画のような魚の絵と、これまた夫の作った立派な昆虫採集の標本が当然娘の名前で並んでいました。それ以来子供の宿題は極力手を貸さないようになりました。 |
| 父と一緒に工作をしました。^^; |
月の満ち欠けを夏休みの間中つけていたのは小4のときの自由研究。 毎晩父がいっしょに夜空を見上げてくれたのがいい思い出です。 |
| 工作とは親兄弟が実行するもの、という家風が現在自分が親になっても継承されている。 |
| あるとき引越しをした、夏休みだった、夏休み明けたら新しい学校へいった、とうぜん前の学校の夏休みの宿題はチャラになった。 |
| 夏休み中に夢で学校に登校したら宿題を忘れていた。40を過ぎた今も時々見ています。 |
| 夏休みの友がなんといっても懐かしいです |
| このまま永久に夏休みが続ずけば良いと思つた。遠い〜昔の思いで |
| 理科の自由研究で、虫や植物を調べたのが今でもいい思い出かつ、子供にいろいろ教えてあげられ役立っています。 |
| 自分の宿題であまり苦労したことはありません。ですから、娘が夏休みの宿題でモタモタしているとつい手を出してしまい、中学生まではほとんど私の作品を提出していました。その娘も25歳になってしまったので、あとは孫を待つしかありません。宿題好きな人もいるのです。 |
| 宿題計画表をつくってこなすのが楽しみだった。 |
| 親が頑張っていた。 |
| 母親と夜、野原で鳴く虫を捕まえたこと。虫かごに入れて翌日観察日記の見開き左側のページに自分が書くと、母が右側のページに書いた。観察日記の薄いノートが終わる頃夏も終わった。一生の宝物になっている。 |
| 海に行って、貝殻を拾い、図鑑で調べて、標本を作ったことがありました。父親と一緒に作った良い思い出です。 |
| 戦時中で工場や土建現場で奉仕すると宿題が免除されたこと、英語や音楽の授業も宿題もなかったこと、 |