| 小学生のとき、好きな人がいました。初恋でした。運動会ではフォークダンスがあり、とても楽しみでした。好きな人と手をつなげるからです。その人が近づいてくるのをドキドキしながら待っていました。手をつないでいられるのはほんのわずかでしたが、とてもあたたかい幸せな気持ちになったのを思い出しました。 |
| 楽しみにしていた中学の騎馬戦。絶対最後まで残ろうと意気込んでいたのに始めの合図とともに動きだした途端、足がもつれて転倒・足首捻挫,さらに仲間内よりバカにされたりと散々だった。だが、今でも同窓会になるとこの時の出来事を皮切りに懐かしい話で盛り上がる。今では、大切な思い出になっている。 |
| 高校生の時、小学生の弟が母と運動会に来てくれた。割と足の速かった私はリレーに出場。女子高で運動会自体みんな力を入れてない事もあり、弟の目の前で2人を抜いて1位になった。弟は目の前で姉の私がリレーで抜いた事をびっくりしたらしく、しばらく「すごい」を連発していた。 |
| ヨーイドン!のピストルの音とともに走り出した我が子。昨日までの練習では、1位か2位だったのに・・・なんと新品の靴をはいていた娘、靴が脱げてビリでした。今でも あのガックリした顔は、忘れません。この季節が来ると10年前のことなのに思い出します。 |
| 高校の体育祭の男子応援団の演技で、飛び回し蹴り(技の名前がよくわからないのですが)を決めたKくん。とってもかっこよくて印象深くずっと覚えていました。在学中は硬派の彼と口を利いたことがなかったのですが、卒業後の同窓会でそれを伝えたところ、とっても喜んでくれて、親しくつきあうようになりました。 |
| 午後の部から土砂降りの雨の中での競技は忘れられません。 |
| かけっこが大好きで、100メートル走でいつも1番を取っていました。ゴールでは、母がカメラを構えて、テープを切る瞬間を狙って取ってくれるのが、とてもうれしく、張り切ってました。 |
| 幼稚園の頃、1番でゴール前まで行ったのにテープを切らず、そこで待ってしまい、2番になってしまいました。 |
| 高校の体育祭で、キャンパス(応援のために作成する、看板の大きなもの。厚みも、1メートル位あります。)を作る為、毎日、夜遅くまで、作業したことを思い出します。 |
| 高校3年生の時体育祭の応援団をやりました。休みも返上でダンスや応援の練習をして青春だったなあ・・・ |
| 私は、幼いときに心臓の手術を受けまして、小学校のときは、運動は一切禁止。でも、無理やり出た1000mのかけっこをしている途中で気を失ったり、中学校で一回だけ出た騎馬戦で、相手の体操着を破ってしまったことを懐かしく思い出しました。 |
| 小学生の頃、毎年のようにリレーの選手に選ばれていたのが結構自慢でした(笑)20年たった今では太って走ることも容易ではなくなってしまい・・・。子どもの運動会で親の競技があったら出たいんだけどなぁ! |
| 私が小学生の頃、わが父は今で言うところのカメラ小僧で、買ったばかりの8ミリビデオを手に私と弟の雄姿(?)を撮るため、会場中を走り回っていました。その夜、家族はもちろん、親戚まで集めて行われた上映会で、壁に貼られた白いスクリーンに大写しになったのは真剣におゆうぎをしている、私と同じおかっぱ頭の同級生でした。いつ私が写るかと見つめていましたがその種目の最後まで私は登場しませんでした。父曰く「てっきり、こっちのカワイイ子の方がお前だと思ったんだよなあ」どうせ私はブスですよ。ちなみに私は父親似です。 |
| 運動がニガテで毎年徒競走ではビリだったのが小学校4年生の時の運動会の障害物ペア徒競走でペアを組んだ同級生がクラスで1番足の速い子で初めて運動会で2等が取れた。嬉しかった。 |
| 何と言っても運動会は競技よりお昼に食べるお弁当が待ち遠しかった! |
| 私が小学校の頃はかけっこが早かったんです。一位か二位は必ず取れたんです。リレーの選手とかもしてたし、でも主人は走ることは好きみたいですが、あまり脚が早かったわけではないそうです。ですから、子供が遅いんです。すごく歯がゆいです。もっと早く走って欲しいのですが、無理みたい、しょうがないですね。 |
| 走るのがあまり速くなかったので、一ヶ月前くらいから父と走る練習をしていました。そのおかげか、ビリになった事はありません。 |
| 保護者参加のPTA綱引きで張り切りすぎて、3日間まともに立てなかった。 |
| 私は運動は大の苦手、その発表会のとき運動会は子供ながらに頭痛の種でした。ことにかけっこは苦手の苦手。ところがそんな子供を生んだ私の母は、子供の頃、運動会が大好き人間だったようで、いつも一等賞なんか貰っていたようです。どうにも私のかけっこの「びり」には納得できないようでした。私の小学校の運動会のアルバムの写真の中に斜めになったピントのぼけたグラウンドだけが写っている写真があります。びりになった私の様子に笑い転げた私の母が、思わずシャッターを押してしまったのです。今となってはいい思い出です。 |
| 父がスポーツに関してだけにスパルタで、運動会が嫌でした。応援の声が激しいのはまだしも、3等まで入らないととても叱られました。運動会が嫌というよりも、そんな父が嫌でした(笑)。 |
| あれは高校の時、校舎が都内にあるため運動会には池袋から1時間も電車に揺られなければいけない田舎(今は違いますけど)まで行かねばならず、めんどうでめんどうで、でも女子高で出欠席にはとてもうるさい学校で、しかも半端な理由では欠席出来ないそこで「そうだ、風邪になろう!!」と思ったのですが努力の甲斐も無く、運動会前日に考えたのは「そうだ!!お醤油を飲もう」そのころ、お醤油を大量に飲むと死ぬ事が出来るとの噂が私の周りでは飛び交っていたので、適量で済ませれば体調が悪くなるだけで済むだろうとの安易に考え実行に移したのですが、お醤油をそのままで飲むなんて出来るはずも無く杯2杯飲んだ所で挫折。夜中にのどが渇いて何度もお水を飲みました、そして翌朝運動会会場に向かう電車の中でトイレに行きたいのをじーと我慢していたのを覚えてます。 |
| 運動会のフォークダンスは、いつも男性役…何故なら女子が多いうえに、男子より15cm以上も背が高いから。しかも女子から「男子より踊りやすい♪」とか言われて、すごく悲しかった。結局学生時代ずーっと男性役、一度でいいから女性役したかったなー、、、、くすん。 |
| 二人三脚はなぜか苦手だった。どういうわけか相性の悪いヤツと組み合わせになって、どうしても足が揃わない。いつもビリだった。 |
| あれは中学3年生のときだったとおもいます。その年齢になると女の子は出たくなくて、決められたもの意外はじゃんけんで負けた人がでるようになっていたとおもいます。私負けちゃったんです。名前はわすれましたが多分どじょうすくいとかなんとかいう種目に。たらいにいっぱいうじょうじょしているどじょうをすくって別のたらいに移すんですがどじょうはにげて地面をにげまわるしつかまえたどじょうは手のなかでにょろにょろするし、運んだあとは手が生ぐさいし、みんなは笑い転げるし、散々でした。でもほかの場面はぜんぜん覚えていないのにこのどじょうすくいのことだけは鮮明に覚えているんです。今ではなつかしい思い出になっています。 |
| 子供の運動会、ここ3年雨に見舞われ順延、仕事のため見に行くことができませんでした。今年は9/13の予定です、お願い晴れて〜 |
| 小学校の時、町内の運動会だったかなぁ・・・。お父さんお母さんがとても張り切って、綱引きをして、目の前でパ〜ンという音とともに綱が真っ二つに切れちゃったのは子どもながらにかなり印象的な出来事でした。ビデオがあったらよかったのになぁ。 |
| 運動が苦手でいやだった。 |
| 三十数年前中学の運動会で中距離走というのががありまして、クラス2名ずつ選出され計16名が走りましたが、14名は陸上部(私達のクラスには陸上部はいませんでした)で結果は散々でしたが、最後まで走っていた私達にゴールするまで大応援をいただきゴールした時目頭が熱くなったのをこのアンケートで思い出しました。 |
| 騎馬戦の時には、必ず救急車が待機してました。 |
| 50mリレーで6チーム中4位で引継ぎあきらめ気味で走っていた時、前3人が転び1位で勝った、これは我が人生にこれほどラッキーなことはその後はない。 |
| クラスの好きな子と一緒に応援で盛り上がったこと。 |
| 運動会といえばリレーに参加することがトテモ楽しみでした。前を走っている人を追い越したときの快感と、周りから聞こえてくる声援が重なったときの達成感は忘れられません。 |
私は出身が陶器の町だったので、小学校の頃の運動会の種目の中に頭に皿をのせて走る競争があったのが印象的です。そのお皿は、窯に入れる前の素焼きのお皿で注意して走らないと落として割ってしまうので走り具合を微妙に加減しながら走ったものです。これを書いていたら、横から子どもが”お母さんの子どもの頃はそんな危ない競技があったの。大変じゃない、割ってそれが足に刺さりでもしたら”といったのですが素焼きのお皿って焼いてないのでまだ粘土の状態なのです。怪我をした子はいませんでしたよ。 今はもうその競技はなくなったそうですが、懐かしい思い出です。 |
| 自分の組を応援しなくてはいけないのに、違う組だった好きな人が出ると、心の中でひそかに応援していた。後、テントに戻っても好きな人を一生懸命探していた。こういう特別な日は、一日中好きな人を探して見れたので嬉しい一日だった。 |
| 毎年母がお弁当と青いみかんを持ってきてくれた。出始めたばかりのすっぱいみかん。青いみかんを見ると運動会を思い出す。 |
| 小学生の男の子にアドバイスです。徒競走やマラソンで「一緒に走ろうよ」もしくは「ゴールは一緒」っと、言う人には注意してね・・・大体ゴール直前でダッシュして置いてけぼりになるぞ・・・大体ゴール直前、きょろきょろ女の子の方を気にしてたら注意だぞ、カッコいいとこみせようという意思表示だからね(笑)・・・これが当てはまるのはテスト前の「俺、勉強しないでゲームやるんだ」も注意だね、安心してると次の日痛い目に遭うよ。ちょっとエピソードから外れてしまいましたが、こんな意見も良いですよね。 |
| 親の作ってくれたお弁当。両親も教師だったため、運動会の日が重なり、見に来てもらえませんでした。でも、忙しいだろうに朝から赤飯や栗や梨など入ったお重を作ってくれていました。いとこ達と食べていました。 |
| お弁当、なつかしいですね。" |
小学校の騎馬戦女子の部。大将の土台真中で・・・。 相手の土台に突進して馬を潰し、三馬抜きした・・・。 でも、4戦目に上が帽子を取られてしまった・・・。 あれはめっちゃ楽しかった。運動会で初めて活躍した最初で最後の瞬間(笑)。運動音痴なもので・・・。 |
| とっておきではない? まぁそう言わずに・・・(滝汗)" |
| 組み立て体操の練習をしている時、上に乗る役だったのですがバランスを崩してしまい落ちて怪我をしてしまった。それも、右手首骨折&左手首骨にヒビ!小学6年生の時のことでした。 |
| 中学生の時体育祭の時女の子に告白された。僕はその時応援団をやっていてうれしくて応援に気合が入った。 |
運動会にとって、私は何が何でもとても楽しみでした。何故ならば、若いころは家が商売していていつも学校が終わったら早く家の仕事を手伝わさせるのが嫌で、運動会の時期には練習で遅くなるので楽しみにしていました。 又思い出しますが、おばぁちゃんがいつもこっそりと、私の好物のカヤク弁当ですが、たった【梅】をいれただけで炊いたんですが、おにぎりにして竹の皮に包んでそれを、柳ごうりの中にいれて食べました。とても美味しかったです。 |
| 親子リレーで、私の家族が一番で進んでいると、アンカーのお父さんが最後の最後で転んでしまって…(お約束みたいな場面ですよねっ) |
| 一気にビリになってしまった(TT)最初で最後の親子リレーの思い出です" |
| 足の遅かった私は、最下位になったとき、手を上げて悠々とゴールしました。 |
| 運動会は常に走ることがすべての競技の順位に支配的なので、鈍足の私は、いつも1位とは縁遠いかった。ただ、中学の2年生の時、運動会の最初にある100m走はメインレースでないため、各クラス代表がほぼ同レベルで私にチャンスが回ってきました。後にも先にもクラス代表で1位をとれたのは、これが最後でした。1位を経験できたことは、本当にうれしく、なつかしい思い出です。 |
| 昔から運動は得意で、特に足が早く、リレーの選手に選ばれ活躍するのが楽しみでした。高校生の時は、3年生になると、体育祭で「二高音頭」(○○二高だったため)というのを踊るのが恒例になっていて女子は、そのための浴衣を自分で作ったり、男子は踊りで使う笠を作ったりと、高校生活3年間の良い想い出です。 |
| 謹慎くらった応援団長の為に、みんなで頑張って優勝した。 |
| 高校2年の体育祭。私は友達に誘われ仕方なく体育祭委員なんてものになってしまい、色別対抗リレーという花形競技で選手に選ばれていた女子が急に出場できなくなり、代わりに俊足でもないのに出場する羽目になった。これは、1年生〜3年生が色別に別れて4チームで走る競技で、他のチームは第一走者が2年生の女子だったのに、私は恐れ多くて1年生の女子に第一走者になってもらった。一応、バトンを受けてから渡すまで、誰にも抜かれず済んだのが何よりホッとした。しかも、いろんな人から激励の言葉というか、お褒めの言葉をいただき、感激した。私の一生の中で、リレーなんていう花形競技に出場したのは、後にも先にもあの一回だけだった。だって、小学校6年生の時、50メートルを11秒くらい掛かって走ってたんだもん。中学・高校と、とくに足が速くなったわけでもなかったし。でも走ってよかったなぁ〜と後で思った。そんな出来事。 |
| 新婚競争で行き先別に相手と組んでの新婚旅行へで憧れていた女性と肩が組めたこと。 |
別にとっておきのエピソードでもないけれども、今でも心に残る事柄があります。現在、生意気盛りの甥がまだ幼稚園生のころ、幼稚園の運動会がありました。運動会の最後をかざるリレーの選手に甥が裏ばれて選手として参加しました。しかし、走っている途中で思いっきり転んでしまいました。けれども、すぐに甥は立ち上がり走り出しましたが、結局甥の組はびりでした。その後甥はひざから血をにじませながらも、元気に私たちの元に走ってきて祖母に一言言いました。「僕、転んでも一生懸命に走ったよ。」思わず、祖母はぎゅっと甥を抱きしめておりました。私にはその光景が今でも忘れられません。 現在、生意気ばかり言っている甥にも一生懸命な時代があったんですね〜。 |
| 小学6年のとき、あこがれの女の子とフォークダンスを踊ることが出来た。みんなは少ししか手をつないでいなかったが、ぼくは目いっぱいつかんで踊った。最高に幸せな思い出です。 |
| 子供の幼稚園の運動会。ヨーイドンで走り、番号札を拾う、同じ番号札を持っている男性を捜して手をつないでゴールへ。1等賞でした。我が子の名誉のために真剣に走りました。もう無我夢中。なぜか皆が笑っている。賞品を貰うとき手を出そうとしたら、まだよその旦那と手をつないだままだった。余程ガッチリとつないでいたのでしょうね。恥ずかしい。 |
| 運動が苦手な私にとっては 運動会はいつも一番嫌いな日で、毎年雨になって中止になることを願っていました。でも、一度だけ鼓笛隊の指揮者になったときは運動会が楽しみだった気がします。 |
| 特にありませんが・・運動会は大嫌いでした。 |
小学校の四年の時2人3脚のときに、一番仲の悪かった人と組み最初はまるでバラバラの足で走り出したとたん転んだ。すぐに2とも起き大きな声を出しイチニ,イチニと、、、、なんとか3番で入ったけど、ビリからの奇跡 仲の悪さなんて忘れ2人で手を取り合って飛び上がった。それ以来、大のお友達。今でも時々其の話をして、運動会がなかったら、お互い嫌な人でおわつたのに、、、と 私は運動会で生涯の素敵な友を見つけた。 |
| 末続選手ほどではないでしょうが、運動会の前日から徒競走のスタートのことばかり考えて1着になれなかったらどうしようという不安との戦いでした(小学生時代) |
| 小学生の時、足にタンポポの花の部分を塗りつけると「足が速くなる!」という噂が大流行し、練習の時から気合いを入れて、塗りまくってました(^_^;) |
| とても懐かしい思い出は,徒競走で転び足をすりむきでも最後まで走りました。何もわからず,無我夢中でした。ほっとしたら痛みを感じました。それでもよかったと思った。なぜか、それは足が遅く「びり」になった言い訳となったからです。でも、本当にいたかつた。(わざと転んだわけではなく本当に転んだからこそです。)もうひとつはフォ−クダンスでポ−としてパ−トナ−の女の子に心配させてしまった。その後仲のいい関係となったが,とても優しい人だった。なんとなく別れた,風の便りでも有ればな−とつい思い出す。運動会での淡い思いです。あれから幾年経つのかこのシ−ズンになるとなんともいえないものです。 |
| いつも体育が苦手な私にとっては運動会という響きが嫌でした。高校は女子高だした。運動会のイベントの中に仮装行列があり、その頃流行っていたベルバラのオスカル役をして、皆からキャーキャー言われたことが一番の良かった思い出だったかもしれません。これは運動能力に関係ない種目ですものね。 |
| 息子がリレーのアンカー選手でドキドキして一着でゴールしたとき涙が出た |
| 長距離走のゴール間近で抜かされそうだった時に頑張れと応援されたら苦しかったのにスピードアップ出来て抜かされなかったことがあります。応援って力があるんだなと実感した瞬間でした。 |
| ダンスのとき憧れの男の子と、あと一人で踊れるーと思った直前で逆回り、「さようならー」どんどん離れていく姿に涙(>_<) |
| 中学の時、密かに好きだった別のクラスの男の子と、フォークダンスをすることになった。はたして彼は、手をつないでくれるかどうか、どきどきしながら彼が回ってくるのを待つうちに、やっと来た彼はためらうこともなくちゃんと手を取ってくれ、私はそれだけで大感激。本当にそれだけの、運動会というと思い出す懐かしの思い出です。 |